長くなったので2回に分けた、2回目です。 →1回目
平成27年12月16日、最高裁は、2つの事件で、再婚禁止期間を違憲とし、夫婦同姓を合憲(法律マター)と判断しました。
夫婦別姓については、「もちょっと世論が高まってから、国会で議論すればいい」ってことでした。
夫婦別姓は制度の形の話
これは、直接的には男女平等の話ではないと思います。
なぜなら、夫婦はどちらの姓を選択してもよく、そこに男女差はないからです。
もちろん、制度はともかく、社会実態として、妻が改姓するケースが多いでしょう。そこを是正して「実質的平等を実現しよう」という考え方はあり得ますが、そのような政策的判断は、それこそ法律マターです。
※憲法は国家の根本法典であり、憲法の理念を社会に及ぼすべく策定される下位法典が法律。
この問題のキモは、
- 「夫婦」という社会単位を構築するにあたり、
- 1つの姓を共有し、一方は改姓するよう強制されているのが、
- 果たして「個人」の尊重を謳う憲法の理念にマッチするのか、
ということだと思います。
最高裁は、「夫婦」を構成するために一方の「姓」を変更させる制度が、その「個人」を侵害するものではない、という判断を示しました。
「姓」は、「個人」の本質的な構成要素ではない、という価値判断でしょう。
わずか150年前には「姓」を持たなかったであろう者の子孫としては、まあそんなもんかな、という気もします。
考えてみれば、「姓」って、「商号」のようなものです。
婚姻とともに看板を下ろさせられるなんて吸収合併みたいだし、実際上の不便も多いでしょう。
でも、社会単位として一体化するために「商号を統一すべき」というのも、ひとつの考え方です。
核家族化の次の流れとして、夫婦間の独立が進んでいるのは事実。「商号を統一しない」制度は、その流れを認め、後押しします。
でも、核家族化とともに急激に社会が変わったように、夫婦間の独立が進むと大きく社会は変わります。その進みに、今、待ったをかけるか、後押しするか。
う~ん。やっぱり、法律マターと考えるのが合理的なんでしょうね。
ただ、ネット界隈のさまざまな議論を見ていると、そもそも婚姻制度自体が時代遅れになりつつあるのかなぁ、なんて思ったりもします。
夫婦間の独立が進むと「事実婚」が普及します。我が国でも、契約による厳格な扶養義務と、遺言による自由な相続を保護する制度を作ったら、一気に普及するでしょう。
「夫婦」の枠(既成観念)にとらわれなければ、「姓を別にする婚姻」「性を同じくする婚姻」はもちろん、「相続権を発生させない婚姻」「条件・期限つきの婚姻」「多数人での婚姻」など、理屈上は、「夫婦」に似た社会単位を作るのは簡単です。
ただし、社会は激変します。
いろいろ考える材料になった判決でした。
感想というか、連想的な印象ですが、「自由は、高価なもの」だと再認識しました。
誰しも欲しいし、得ると嬉しいけどもっと欲しくなる。あまねくもたらすには、とんでもないコストがかかる。
政治の世界では、夫婦間の独立を阻み、核家族化に逆行しようとする動きも目につきますが、それって、コストをまかなえないからなんでしょうね。