(日経新聞2010年3月25日より)
千葉県浦安市の市立小に通学時,担任だった元男性教諭=依願退職=からわいせつ行為や暴力を受けたとして,知的障害がある少女(18)と両親が県や市に約2千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で,東京高裁(一宮なほみ裁判長)は24日,60万円の賠償を命じた一審・千葉地裁判決を変更し,330万円に増額した。元教諭は2004年に強制わいせつ罪で起訴されたが,一,二審でいずれも無罪判決を受け,確定した。
民事では,一,二審とも刑事裁判と異なる判断となった。一宮裁判長は判決理由で,「わいせつ行為に関する少女の被害申告や,わいせつ行為を認めた元教諭の捜査段階の自白は信用できる」と指摘。一審判決が1件しか認めなかったわいせつ行為について,胸などを触る行為が複数回あったと認め,「元教諭の行為は許し難い」と述べた。
事件の中身が分かりませんので,裁判所の判断の是非について論じることはできませんが,刑事事件と民事事件で,裁判所の判断の食い違いが起こり得るということ,及び,その理由について,説明します。
刑事事件と,民事事件とで,裁判所の判断が相違することは,ままあります。
なぜなら,そもそも,裁判官の独立という憲法上の大原則があって,裁判官は,他の裁判官の判断に拘束されません。 裁判の制度上も,ある裁判官の判断が,他の裁判官を拘束するような仕組みはありません(既判力と言って,1つの裁判が確定したら,同じ問題について2度と裁判の提起ができないという制約はあります。ただ,刑事裁判の既判力は,民事裁判に及びません)。
そして,刑事事件と,民事事件では,裁判所の事実認定の方法が異なります。
刑事事件で有罪判決となるためには,法律用語で「合理的な疑いを超える心証」が必要と言われます。 要するに,「有罪であることに一片の疑いもない程に,証拠が揃っていなければならない」ということです。
他方,民事事件では,法律用語で「証拠の優越」で足りると言われます。 要するに,原告が勝訴するためには,「原告側の証拠が,わずかでも,被告側の証拠より勝っていればいい」ということです(もちろん,これは純理論的な,極端な説明であり,実際の裁判では,よりシビアに認定されます)。
最近の話題では,痴漢冤罪などでも,同じようなことが起こっていますね。